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今年の5月、深澤辰哉さんのお誕生日を祝うためにブログを開設してから早2ヶ月。

次があるとするならば来年のお誕生日のつもりでいました。なぜなら日々140字以内のことばを生成するのにさえ恐ろしいほどの時間を要しているからです。だからせめて1年に1回は更新されるブログに、あれなんだか七夕みたいでいいかもしれないな、うんそうしようとか何とか思っていて。(そしたらなんと七夕の日、深澤彦星辰哉さんによってほんとうに織姫にされました)(やったね!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前置きがながいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スイートルームを取ってくれたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(下手くそ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとまず7月2日のこれを。

news.dwango.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

そして18日に更新されたさく日。

(アップされる頃には一昨日になってるんだろうな、一昨日です)

 佐久間さんが完成披露試写会で言っていた「深澤が用意してくれた」鑑賞の場の正体、スイートルームでした。滝沢歌舞伎 ZERO 2021 御園座公演期間に、深澤さんが計らったスイートルームでSnow Manが「白蛇:縁起」を鑑賞したことが明らかになって、まるでタライが落ちてきたかのようなショックを受けたおたくたち。ちなみに私は星が見えました。トレンド入り、おめでとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直感的にすごく素敵だ、と思って。

すごく素敵な、粋な計らい。

何度も何度も言葉をなぞって、考えて、寝て、目が覚めたらまた思いを巡らせて。

そうやっていつもの如く一定時間を経て、ようやく言葉になりそうなのでつらつら話してみようと思います。というブログです。 

 

 

 

 

 

 

まず、対佐久間さんだったから”より”意味があったんじゃないかなという話。

今回のスイートルームに言及した佐久間さんのニュアンスに「わざわざ」「見るだけなのに」って修飾詞が添えられたこと。これがめちゃくちゃ佐久間さんらしいなと思って。大前提として作品はおろか観る行為を卑下する意味では決して使われていなくて、逆に何処で観たとしても作品のすばらしさは依然として揺らがない…みたいな確固たる信念を感じて好きだった。おそらく瞬間的に作品や世界に入りこめる人だから、普段からその世界が始まってさえしまえば周りをシャットダウンするくらい没頭するんだろうな…と思う。作品の内容以上にそれを摂取する”環境”に必要以上に囚われることがない。その上今回観ることになったのは舞台期間中、遠征期間中だった。どこか「見てもらえるだけで」のニュアンスもあったのかもしれないね

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ「ただ見るだけにしなかった」のが深澤辰哉さんで、スイートルームで、だからこそ素敵なんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやって観ようが作品は素晴らしいんだけど、長年の夢が叶ってできた特別な作品だから。1回しかない”初”は観る方にとっても同時に初だから。そうやって佐久間さんにとってのたくさんの特別を可視化した。見てもらえるだけで…の感情なんて吹き飛ばしてしまう空間プロデュース。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、特別感を最大限にしようの気持ちがスイートルームに結び付いたというよりは、”対価として”だったり”釣り合うものとして”のニュアンスの可能性も十分にあるのかな、何ならそっちの方が近いのかなとも思っていて。むしろスイートルームぐらいじゃなきゃ観るのに相応しくないじゃん?これくらい取らないと割に合わないよ?なんて思っていそうな気もする。ただ、この解釈には何のソースもありません。だからもうストップ。

 

 

 

 

 

「すごいね」の相乗効果は少なからずあるよねという話もしよう。

観る環境が整えられることによって少なからずハードルが上がるような側面があるけれど、その上で観て、そして作品に対するすごいね!がくること。声優業、主演というお仕事そのものに対するすごいね、と実際の感想としてのすごいね、のサンドイッチ。自ずと上がったハードルさえも結果として凌駕できたんだ、を感じられるというか。なんかそんな意味合いが生まれた部分があるんじゃないかなぁなんて思っている。ただ結果としてね。これも素敵の一要因。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてったって、スイートルームの言葉自体のインパクトですよね。

未だに反芻しちゃうもん。スイートルーム、スイートルーム..........って。

豪華さだったり特別感のニュアンスを連れてきては誰にでも響く。

価値を表すのに最大級の可視化って感じがする。

わかりやすいぐらいのそれなのが良い、良いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそのインパクトの一因は間違いなく「高級」であることに他ならなくて。ストレートに言うと値段。特別な部屋だからその分お金がかかる。

これによって否応なしに強調されるのが”絶対的な”価値で。

そしてこれも今回、かなり大きいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数字や金額が全てではないこと、それは勿論そうなんだけど、ただそれが生み出す絶対的な価値のことをおよそ知りませんとは言えないんだよね。「今」。全てではない反面、決して無視するわけにもいかないというか。それにしか生み出せない恩恵もあれば、根拠として説得力を増大させ得る力もあることをもう知っている。というか知っていなければいけないところにもう足を踏み入れてしまっているからかな、余計にそう思うのかもしれないけど…。とはいえ過信は禁物ですが。

 

 

 

 

 

 

話が逸れました。

何が言いたかったかというと、今回の一件を巡る”思い”を説明するために、スイートルームのブランド的価値だったりその一端を担う支出だったりそのあたりのあれこれはきっと意味があったんじゃないかなということなんだけど、あくまでこれも個人的な解釈です。ただ見るだけにしないように、の思いに添えられたのが絶対的な価値を持つものだったこと、うん、やっぱり私は素敵だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、願望に近いわたし個人の思いとして、スノーマンの中でも深澤さんと佐久間さんと”課金的事実”が生む暗黙の共通認識が少なからずあってくれるのかなという部分がある。非言語コミュニケーションが作用してくれてはいないかな、どうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深澤さん、自分のことを口下手って評しがちじゃないですか。口下手は厳密には違うかもしれないけど。ただ佐久間さんの語彙を羨ましいと言っていたりもする。そんなことはないとは思うのですが、本人は言っている訳で。でもだからこそ、自分のことをそう評する人が今回行動に昇華させた思い、美しいなぁと思わずにいられない訳です。エンターティナーだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 芸能のお仕事につきものの撮影から公開までのタイムラグの期間で、誰よりも早く誰よりも近くにいる人たちが肯定してくれるのも素敵だよね。今回の場合、渡辺くんに「いい曲持ってきたな!」って言われた話を折に触れてしているし。自分の持ってきた仕事、それがあったからこそ主題歌としてもらえた曲がまたいい曲で、そしてメンバーが喜んでくれて、っていうグループに還元してるのがとってもうれしそうで、うれしい。お仕事が決まった時、主題歌が来た時、そして今回完成した映像を観たとき、それぞれでちゃんと違ったうれしいが生まれていることがうれしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなると次はいよいよ公開ですね。

続きたいね。楽しみだね。ブログ、どう終わらせたらいいかわからないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだそうだった。

話題にしていた映画、このブログのそもそもに主役のリンクを貼ろうね。

7月30日公開!

みんなチェックチェック~~~~!

 

white-snake.jp

 

 

 

 

 (やっぱりブログは年に1度だな.........)